父の話-3
ドイツから帰ると、打合せをしている家族を自宅に呼んで「もみの木」の解説をしていきます。
ドイツまで行き、現地のもみの木を見たことはかなり大きな収穫でした。それと父の話です。自宅のリフォームの話もします。
「そこまで信念をもってこれが良いって事であれば、全てお任せしますよ」
って事になっていきます。ただし、まだこちらが覚悟を決め切れていませんでした。パインともみの木とサニタリーフロアの3種類の床が存在する家を建てていました。
で、事務員の樗木の家で大きな転換期が訪れました。
「社員の家だからもみの木は使うだろう」
なんて軽く考えていたら「私はもみの木は嫌いです」みたいになった。セミナーに行っても見学会に行ってもなぜか「アンチ・もみの木」です。
会社の運命がこの一軒に掛かっていることは明白です。どうするか??
「うちを見に行こう。すると分かる」
って事で、自宅に連れて行ったわけです。うちは男の子が二人。長男はもみの木は嫌だという事で床はカラーフロアのまま。次男はもみの木に張り替えてあります。
この二つの空間に賭けます。長男の部屋は男の子の臭いがしてきます。次男お部屋は無臭。これが分からなければあきらめるしかありません。
両方の部屋に入った樗木家族はこう言います。
「うちは全部もみの木にしてください。これだけ臭いが違えば分かります」
となりました。その次の現場から床の200%をもみの木にした「もみの木の家」仕様の家を建てていく事になりました。
その時はもみの木の家をネット上で展開しており、安定した受注をしていました。そして自分は独立する事となります。
「もう自分でやれるだろう。その方が楽しいと思うよ」
なんて社長から言われた。それが10月の事です。翌年には新しい会社を興して独立します。父も「頑張れ」と言ってくれました。
独立して半年後に父は亡くなりました。6月19日です。もみの木の家しか建てないと言えたのも父のお陰です。
あまり話さない父だから自分自身で道を示したのかもしれません。
今考えると
「あの時、もみの木に張り替えていなければ今頃、どうなっていたんだろう??」
なんて考えます。人のアドバイスを聞き入れて実行する。その後にチャンスは現れる。チャンスは待つものではなく、作りだすものなのかもしれませんね。